てけもけです。
今回は、2022年10月6日から世界柔道が、タシケント(ウズベキスタン)にて開催されます!
今回は、その中でも、81kg級男子の代表である永瀬貴規選手の経歴や戦績についてご紹介します。
永瀬貴規の経歴や生い立ち
永瀬貴規さんといえば、2021年に開催された東京オリンピックの81kg級金メダリストです。

オリンピックで金メダルはすごい!と、単純な筆者は思いますが、そこには絶え間ない努力が積み重なってのことだと思います。
そんな永瀬選手は、これまでどのような生い立ちだったのでしょうか?
永瀬貴規の生い立ち(幼少期~小学生)
永瀬さんは、兄の影響で、6歳のときに柔道を始めたそうです。
永瀬さんは「養心会」というところに通っていたそうです。ここでは、警察官OBや柔道経験のある保護者等の指導者が子供たちを指導しているそうです。

養心会は、長崎県の平和公園の近くにありますね。
そのほか、小学5年生時には、「修喩(しゅうゆ)館」にも通っていたそうです。
このときから、「眼」が良かったそう。
上級生や兄の試合を見て、人の投げ技のクセを見抜き、マネして覚えていました。
そうして、実力をメキメキとつけていきます。
小学5年生の時には全国小学生学年別柔道大会の40kg級に出場するが、栃木県代表の髙藤直寿に敗れて5位でした。
6年の時には45kg級に出場しますが、再び髙藤に敗れてベスト16止まりでした。
高藤直寿は、東京オリンピック男子61kg級金メダリストなので、このときから、すでに試合していたのですね!

永瀬貴規の生い立ち(中学生~高校生)
その後、中学3年で全国中学校柔道大会の66kg級に出場するも、舞鶴中学3年の竪山将に判定で敗れて5位だったそうです。
※この竪山将は、現在、パーク24で柔道選手だそうです。
その後、長崎日大高校の柔道部監督である松本太一に「オレと一緒に日本一になろう」と熱心な勧誘を受けて長崎日大高校に進学しました。


すると、早くも1年の時には高校選手権の81kg級で優勝を飾りました。
2年の時にはインターハイの個人戦と団体戦でともに5位でした。
3年の時には8月のインターハイで優勝を果たし、9月の全日本ジュニアでは、大学生を交えながらで2位を、11月の講道館杯では高校生ながら3位でした。
そして、12月のエクサンプロヴァンスジュニア国際では優勝しました。
長崎日大高校への進学と松本太一監督との出会いによって、一気に人生が変わったとも言えるかもしませんね。
現在でも、永瀬選手は、年に2,3度は母校に訪れているそうです。
永瀬貴規の生い立ちと戦績(大学生)
2012年、永瀬選手は筑波大学に進学します。
ここから、凄まじく大会で勝っていきます。
以下、まとめになります。
2012年 - ブレーメンジュニア国際 優勝 2012年 - 全日本学生柔道優勝大会 5位 2012年 - ドイツジュニア国際 優勝 2012年 - 全日本ジュニア 優勝 2012年 – アジアジュニア 優勝 2012年 - 体重別団体 2位 2013年 - ヨーロッパオープン・トビリシ 2位 2013年 – ユニバーシアード 個人戦 優勝 団体戦 優勝 2013年 – 学生体重別 2位 2013年 - 学生体重別団体 優勝 2013年 - 講道館杯 優勝 2013年 - グランドスラム・東京 優勝 2014年 - グランドスラム・パリ 3位 2014年 - 選抜体重別 優勝 2014年 - 全日本選手権 3位 2014年 - 全日本学生柔道優勝大会 3位 2014年 – 世界選手権 5位 2014年 - 世界団体 優勝 2014年 - グランドスラム・東京 優勝 2015年 - 選抜体重別 優勝 2015年 – ワールドマスターズ 優勝 2015年 - 全日本学生柔道優勝大会 優勝 2015年 – 世界選手権 優勝 2015年 – 世界団体 優勝 2015年 - 学生体重別団体 5位 2015年 - グランドスラム・東京 3位 |
見てわかる通り、半端なく優勝しまくってます!めちゃくちゃ強いですね。
大学4年の2015年、および旭化成に所属した2016年の世界ランクは、2位と1位でした!
しかも、大学4年時には、全日本学生柔道優勝大会では、代表戦で100kg級のウルフ・アロン選手に勝ち、筑波大学を優勝へと導いています。

階級が自分より上の人にも勝っていたとは、驚きです。
永瀬貴規の生い立ちと戦績(旭化成所属後)
永瀬選手は、筑波大学卒業後、旭化成に所属します。そして、様々な大会で優勝していきます。
以下に、現在までの戦績をまとめています。
2016年 - 選抜体重別 優勝 |
2016年、永瀬選手はリオ五輪の代表選手に選出されます。
代表決定後の会見で永瀬は「何が何でも金メダルを取りたい。相手が嫌がるような柔道をします」とコメントしました。
しかし、実際は3位の銅メダルとなり、笑顔はありませんでした。
その4年後の2020年、永瀬選手は東京オリンピックの代表選手に選出されます。
代表内定となった永瀬選手は、
「リオ五輪が終わってから挫折を経験した。(その経験は)4年前にはなかったもので、今は自分の力になっている。東京では強い柔道を見せたい」と決意を語っていました。
そして、東京オリンピックでは、オリンピック初優勝を飾り、シドニーオリンピックの瀧本誠以来21年ぶりにこの階級に金メダルをもたらしました。

優勝後のインタビューで、
「ついに表彰台の一番高い景色を眺められた。この5年はつらい時間だったが、今日でそれが報われた。あの経験(リオ五輪銅メダル)があって良かった」
と言っています。
この功績が讃えられ、同年に紫綬褒賞を受賞しています。
永瀬選手の強さは「眼」と「分析力」にある!?
これまで紹介したように、様々な大会で優勝し、オリンピックでも金メダリストとなった永瀬選手。
永瀬選手の強さの秘訣はどこにあるのでしょうか?
それは、「眼」だと、故郷の長崎市で指導した「修喩(しゅうゆ)館」の桂孝道館長(70)は語っています。
小学生の頃から、兄を相手に上級生たちの組手をまねてみせる。永瀬家のだんらん風景。
母の小由利(さゆり)さんは「よく特徴をつかんでいた」と話しているそうです。
筑波大時代は、自身でコーチングし、練習も一つ一つ深く意味を理解した上でこなしていました。
卒論ではライバル選手の映像を繰り返し見て分析をまとめた。
「何かを指導する必要がない」。同大の岡田弘隆総監督にこうまで言わせたそうです。

徹底的な相手の分析・自分自身への分析・たゆまぬ努力が合わさって、結果につながっているのでしょう。
永瀬貴規のwikiプロフィール
名前 | 永瀬貴規(ながせ たかのり) |
生年月日 | 1993年10月14日 |
出身 | 長崎県 |
身長 | 181cm |
体重 | 81kg |
段位 | 5段 |
得意技 | 内股、足技 |
最後に
今回は、東京オリンピック81kg級金メダリストの永瀬貴規さんを紹介しました。
10月6日から開催される世界柔道でも、永瀬選手をみんなで応援していきましょう!
最後まで見ていただきありがとうございました。
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